描けるまで描けば誰でも絵を描ける=絵を描けない人はいない。
そろそろ全力でこの説を布教して良いですよね?絵が描けないって悩んでいる人に布教して良いですよね?
きっかけはぼくがアーティストから教えて頂いたことです。
『君は絵が描けないんじゃない。途中で描くのを辞めているだけだ。そもそも絵が描けないというのは嘘だ。描けるまで描けば、誰でも絵を描ける。時間をかければ良いんだよ。いきなり短時間で描こうとするから、世の中の人は絵が描けないと言う。』
『ちゃちゃっと5分で顔を描いて、自分は絵が描けないなんて言ってはいけないんだ。5分で描けないなら、10分。10分でだめなら1時間。1時間でだめなら2時間。それでもだめだな5時間でも10時間でも、描けるまで描けば良い。納得いくまで続ければ、必ず描ける。そしたら後はそれを少しずつ短時間でできるようにしていけばいい。』
この記事でも既出のこの言葉。1回で出来なくても良い、出来るまで積み上げていけば良いこの考えって、絵だけじゃなく当てはまるし、もっと広がったら良いなと思ってるんです。
先生、1回目で100点じゃなきゃダメですか?
1回のチャンスで正解を出せなきゃダメ!って思い込みがちじゃないですか、絵でも何でも。。小学生のときから大学生のときまで、ずっとそういうテストを受けてきて、成績という形でのフィードバックが当たり前だったからでしょうか。
今の教育現場のことは知らないけど、ぼくも恐らくこのブログの読者の皆さんも、テストを返されて、間違ってるところを調べて直して、それを出しても100点はもらえなかったんですよね。成績は最初の点数で決まる。ワンチャンスしかない。
で、いつの間にかそれが自分のスタンダードになっている。何に対しても一発で正解を出すことに価値があるって、知らない間にそう思ってる。でもそれって、本当は全然違う。
時間かけてやれば良いし、できるまでやれば良いし、どんどん調べれば良いし、間違えていいし、間違えたら直せば良い。先生から返されたテストの答えを自分で調べてやり直して、それが全問あってたら、それも100点だと思うんです。世の中の大体のことって、本当はそういう風に積み上げられるものだと思うんです。
算数教室の先生のこと
ぼくは小さい頃に地元の算数教室に通っていました。近所の知り合いのおじさんが先生をしてくれてるんですけど。決まった授業時間っていうのはなくて、教室が開いてる時間に勝手に行って、先生からその日にやるだけのプリントをもらって、それが全部終わったら帰って良いっていう教室だったんです。公文みたいな感じです。公文通ったことないけど。
で、その先生って、間違ってたらプリントを返してくる。それを直してまた先生に提出する。間違ってたらまたプリントを返してくる。またやり直す。っていうのを何ラリーやっても、最終的に全問正解したら絶対100点をくれるんですよ。
学期が終わると、それまでにやった全てのプリントをファイリングして渡してくれるんですけど、もう100点しかないんです。そこの教室に通ってる子供たちはそこでは100点しか取ったことないんですよ。今思うと、これスゲーなと思って。
めちゃくちゃ尊いことを伝えてくれていたんだなって思うんです。気が付くまでこんなに時間かかってごめんなさい。でもちゃんと受け取ったから。
だから今度は、ぼくがそれをできる範囲で伝えようと思います。
描けるまで描けば誰でも絵を描ける。だから絵を描けない人なんかいない。
時間をかけてやれば良いし、できるまでやれば良いし、どんどん調べれば良いし、間違えていいし、間違えたら直せば良い。それだって100点です。
本当は積み上げられる。1点を100回取ったら、それだって100点なんです。
描けるようになる方法、一緒に考えます。
そんなの綺麗事だ!って思う方もいらっしゃるかもしれない。だから、もう少し役に立てるように、具体的なことを考えてみました。良かったらもう少しお付き合いください。
素速く描けねえ!
→描けるまで描く!時間をかけて描く!
今日も明日も同じ絵に向かって、最低でも30時間を同じ絵に費やしてみると、今まで到底とどくわけがないと思っていた場所に到達できます。マジです。その代わり最低30時間!もちろん休みながらで大丈夫だから、1回で良いからやってみて!時間をかけて出来ないことは短い時間でも出来ない、だったらまずは出来るようになれば良いだけ。そしたらそれを少しずつ短くしていけば良いんです。
どう描いたらいいか分からねえ!
→参考になりそうな見本を探す。
実物でも写真でも何でも良いから、参考になるものを探して、それを見て描く。何も見ないで描いてるくせに描けない!なんて弱音を吐かない!カンニング推奨です。もうゴリゴリにカンニングしましょう。
資料収集力も立派なスキルのひとつです。
自分は下手だ!うまくねえ!
→うまくなりたいから描くんじゃない。自分の声を伝えるために描く!
うまい絵をゴールにしない。映画だってうまい映画をつくろうとしてつくられているわけじゃない。言語と同じです。うまく話すんじゃなくて、何を伝えるか。絵がうまく描けないときって、技術じゃなくてそっちが空っぽの場合が圧倒的に多い。
絵を通して伝えたい自分の声って本当に何でも良くて、例えば推しへの熱い思いとかでも全然良いと思うんですよ!
- 車が好きだ!
- この街が好きだ!
- このキャラが好きだー!
っていう推しへの強い感情みたいな、そういうのだって立派な声だと思うんです。ぼくが通っているカリフォルニア芸術大学で伝説的なライフドローイングの先生は『絵が上手い人なんかいない。いるのは自分の声を聞くのが上手い人だけだ』という名言を遺されています。
また、アニメーションの先生は、自分の現在地がどこであれ常に一段だけ上のレベルを目指して作業しろって言っていました。あまりに高いレベルを目指すとうまくいかないだけでなく、できない自分に失望してしまうと。できないことは問題じゃないけど失望は問題。楽しくない描きたくないという気持ちの入り口だから。
今あなたが登っているその階段、そもそもどこに向かっていますか?その階段が辿り着くべき場所は、自分の声を伝えられるようになるという場所です。ちゃんとそこに向かえていますか?
描きたかったものと全然違う!
→どこがどう違うのか、まず言語化してみましょう!うまく言語化できたらかなりの成果です!
例えばこんな感じ。
- もっとフォトリアリスティックにしたい→実物を見て描きましょう!
- もっとドラマチックにしたい→自分がドラマチックだなーと思う画像を探して、ドラマチックを演出している要素を研究してみましょう!構図?ライティング?カメラアングル?それを自分の絵に適用すればOK!
- もっとカートゥンネットワークっぽくしたい→カートゥンネットワークの好きなシーンや背景を集めて、自分の絵と違うところを探そう!線は直線?曲線?色の塗り方はどう?テクスチャは使ってる?
もっとこうしたい!を自分でちゃんと理解することがまず大きな進捗です。そうすれば次に取るべき具体的な行動が分かります。もちろん、必ずしも描く前にそれが全て分かっている必要もなくて、その絵をどうしたいのかというイメージを探るためにラフを描くのも大切な作業です。
その絵をどうしたいのかというイメージを探るためにラフを描く
↓
理解する(≒言語化)
↓
もう一度ラフを描く
↓
イメージが固まる
↓
下書きへ
下書きの前にこれだけ段階があります!だから一発目からうまくいかなくても、何の問題もありません。
その絵をどうしたいのか・どうしたくないのかをまず知る、そのための方法のひとつとして描く、というのも全然アリ。なので今自分がどういうフェーズにいて、何のためにその作業をしているのかということを考えながら行動することが大切です。
その気持ち、めっちゃ分かるよ。
とかまあ色々と偉そうに語ってきましたけど、絵が描けない!っていう人の気持ちめちゃくちゃよく分かるんです。ぼくもずっとそう思っていたから。でもだからこそ、あれ自分描けるんじゃないか?って感じ始めたときの興奮は凄まじかったし、それを伝えることが出来ると思っています。だってその興奮は技術的な支えじゃなくて、この記事にあるように考え方や絵に取り組む姿勢がきっかけで生まれたものだから。
だから、あれ自分描けるんじゃないか?っていう瞬間は、誰にでも絶対に訪れる。それを少しでも届けたくてこの記事を書きました。熱量系の記事が久しぶりなのでしっかり表現できてるか不安だけど、ちゃんと伝わってると嬉しいなと思います。
絵って積み上げられるんです。だから絵が描けないって弱音を吐くかわりに、一緒に描けるようになる方法を考えませんか?
いや、ここに書いてあること実践したけど絵描けねえよ!っていう人がいたらごめん!他の方法を一緒に考えてみます。考えた結果分からないこともあるかもしれない。でも今日答えが見つからなくても1年後に見つかるかもしれない。みんなで探せばもっと早く見つかるかも。そんなことを考えながら、今日も絵を描いています。