2017年9月から、アメリカ・ロサンゼルスにあるCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学、通称カルアーツ)に留学中の髭猿です。
留学前のぼくは、アメリカの大学というと、授業の規模に関わらず生徒が超活発に発言しまくるという印象を持っていました。そして発言せぬ者はいないも同然だと見なされるのではないかと妄想していました。
ということで今回は、
- 実際にアメリカの大学の授業では生徒が発言しまくるって本当なのか
- みんなどんな発言をしているのか
- 議論がヒートアップしすぎてしまうことはないのか
といったことについて書いてみようと思います。それではどうぞ!
何でも発言する生徒たち
留学する前から想像していた通り、アメリカの大学はとにかく生徒の発信が凄いです。『質問ある人?』と先生が言わなくてもガンガン質問が出ます。面白いのは、質問だけでなく単なる意見や発展途上の考えもガンガン発言するということ。
例えばぼくが在籍しているキャラクターアニメーション科の授業だと、
- この作品のこういう表現が好きだ
- この監督は別の監督のこの作品から影響を受けているんだよ
- このシーンが好きだ
- このショットはこのシーンに相応しくないと思う
- まだこの映画見たことないです
みたいな感じで、ただの意見からプチ情報まで、とにかく思ったことをどんどん発言していきます。
考えの浅い意見でも問題なし!
これらの意見は、エッジが効いた発言かというと必ずしもそうではなくて、ただの意見や感想でも全然OKなんです。短い読書感想文みたいな感じと言えば伝わるでしょうか。書評じゃなくて読書感想文。←これがポイント。
読書感想文ってあくまで感想であって、正解も不正解もないし、問題提起もないじゃないですか。あくまで自分はこう思ったっていう。
そういう発展途上の意見をガンガン発言して先生やクラスメートに壁打ちしてもらい、自分の最終的な意見を導き出していく。読書感想文的な意見を投げあって考えを深め、それを書評に昇華させていく場が授業、みたいなイメージです。
しかも、推敲される前の意見や感想って、シンプルにその人となりが分かるので実は結構大事なコミュニケーションだったりします。さらに、人と違うほど意見ほど面白かったりするわけで。そんなわけであまり熟考されていない段階の意見、超ウェルカム!というスタンスなのです。
その分人の意見を聞く力もすごい
それと同時に、海外の学生は、尊重や配慮といった人の意見を聞く素養が非常にしっかりしているのも驚きでした。人権の尊重ということを真に考えながら人の意見を聞いているんです。
二十歳前後の子らも、普段は年相応か少し幼いくらいなのに、他人の意見を聞く姿勢・自分と異なるものを許容する姿勢に関しては大人と同等のものを持っていて、そのミスマッチが凄く不思議で、どうしてそんなに意見を言ったり聞いたりするのが上手なのかと質問したことがあります。
すると、国によってタイミングに違いはあれど、みんな小中高といずれかのタイミングで意見を聞く訓練、意見を言う訓練を学校で受けてきたとのこと。なるほど。ぼくが日本で大学生をしていたときのそれとは全く比較になりません。今の日本の学生の現状は知りませんが、当時のぼくらと比べると圧倒的にレベル違う。
まとめ
我々日本人は、その場の議論を良い方向へ推し進める意見じゃないと発言しづらいという考えから黙りがちですが、欧米人からしたらずっと黙っている奴は何考えているか分からないから怖くて絡みづらいと思われてしまいます。過去のぼくも、いきなり書評レベルの意見を言わなければならないという謎の試練を自分に課していました。
でも実際にアメリカ美大留学をしてみて、自分の考えや感情を、読書感想文レベルのクオリティで良いからテンポよく共有していくのって、頭の中を見せるというためにも、そして自分の考えを発展させるためにもとても大切だなと感じています。
また、他人の人権と意見を尊重しながら、自分の意見を発信していくことの大切さと難しさも痛切に感じています。これは日本では意識する機会が少ないけれど、本来とても重要なテーマだなと思いました。