NYって冷たいようで優しくて、でも弱肉強食のリアルな世界で、変な魅力があると思っている。
今回はそんなNYの優しいエピソードをひとつ。
ぼくは2016年の9月からNYにあるアートスクールで海外の美大受験の準備をしていた。
そのときのシェアハウスの同居人に、カナという同い年の女性がいた。
カナは英語が全然話せないのに行動範囲だけはやたら広く、NYに来てから日が浅いのに色んなところに出かけて行っては迷子になって帰れなくなるという凄いヤツだった。
で、カナはその日もトラブった。
夜遊ぶために友達と合流しようとしていたカナは、スマホの充電が切れてたかなんかで、ウーバーではなくタクシーに乗った。
目的地について支払いをしようとしたところ、財布を落としたかスられたことに気が付いたらしい。手元にキャッシュが全くない。支払いができない。
しかしその事態をドライバーに伝える英語力がない。財布が丸ごとないから、ちょっと待っててもらって銀行でキャッシュをおろすこともできない。できたとしてもそれも英語で伝えられない。
リスニングは少しできるようになっていたが、スピーキングが相変わらず苦手だった。
どうにも困ったカナはその場で泣きじゃくってしまい、ドライバーさんはもちろん困惑する。コミュニケーションが全く成立せず、地獄のような時間が流れたらしい。
しかしそこでNYの奇跡が起きる。
困り果てるタクシードライバーさんと泣きじゃくるカナの様子を見た通りすがりの女性が、一瞬で全てを察し、なんとカナにキャッシュを手渡したというのだ。
そして繰り出される美しすぎる名言。
『これで足りる?NYにいる人には、誰にでも最初の日があるの。だからあなたも頑張って』
NYは移民の街だ。ここに定住して彼らの故郷にした外国の人でいっぱいだ。今は無事に異国の地に根を張ることができた人にも、必ず最初の日はあったし、その時の苦労を忘れることは絶対にない。
ゼロから居場所を作るって、しんどい。
一度でも異国の地で根を張ろうともがいた経験がある人なら、瞬時に理解できる感覚だと思う。
だから、誰かが課題に直面したとき、それは既にそれを経験している人々を共感させ、美しい絆を形成し、他の人々を同様に気遣うコミュニティが自然に出来上がる。
この国の人間ではないという挑戦を通して生み出されたコミュニティは美しい。家から遠く離れることは困難だけど、同じような経験をしている人達は国境を越えて助け合う絆を持っている。
それが、通りすがりの女性の取った行動と言葉に集約されている。
『これで足りる?NYにいる人には、誰にでも最初の日があるの。だからあなたも頑張って』
カナによると、その女性もネイティブではなかったそうだ。だから彼女にも最初の日があったし、恐らく今までずっと頑張ってきたのだろう。
もちろんNYでも人種差別は存在する。言語や文化が異なる人々が一緒に暮らすことで起きる様々な誤解や軋轢もある。しかし、NYにはそれを乗り越えるために努力している人がいることもまた事実だ。
NYってそういう場所なのだ。全力で戦っている人には必ず手を差し伸べてくれる人たちが、結局は結果が全てという容赦のない現実の中で生きている。暖かさも冷たさもある、不思議な場所なのである。
でもこれってNYに限った話ではない。
挑戦している人・戦っている人は、人に優しい。それはきっと、自分に最初の日があったからだ。そして、誰かの最初の日を想像することができるからだ。
自分はどうだろうか。
振り返ってみれば、ぼくが会社を辞めて映画をつくろうと思ってから、最初の日の連続だった。
今も尚そうだ。これからも続いていく最初の日々を、淡々と歩み続けたい。そして今まで助けてくれた人たちのように、ぼくも誰かの最初の日を想像できる人間でありたい。
この記事が、誰かの最初の日に寄り添うような、優しいものになっていれば嬉しい。
ちなみに目的地で無事に友達と合流したカナは、当初の予定通り友達としっかり遊び、帰宅の交通費を借りて無事に明け方家に返ってきた。
その逞しさたるや凄まじく、ピンチのときにしなやかで美しい振る舞いの女性に助けてもらえるような強運の持ち主でもあり、今でもぼくが尊敬している友人の一人である。