3月のライオンという漫画をご存じでしょうか。
今年の春に実写映画化もされるこの漫画は、幼い頃事故で家族を失い深い孤独を抱えた17歳のプロ棋士が様々な人間と触れ合い、その中でそれぞれが何かを取り戻していくという物語です。
妹にすすめられて3月のライオンを読んだら結構面白くて、最新刊である12巻まで一気に読んでしまった。
何が面白いかって言うと、もちろん3月のライオンのウリである人間ドラマが素晴らしくて、時に美しく時に悲しく、非常にぐっとくるものがあるのだけれど、
それよりもぼくは、棋士とアーティストって似ているなぁって思い、そこがとても面白く感じました。
棋士の日常
棋士は対局がないとき何をしているかご存知ですか?
対局がないとき、棋士はひたすら研究しているそうです。
・何十年前にも遡り、昔の対局の棋譜を調べる
・詰将棋を解く
・研究会に参加する
と、昼夜問わず盤に向かい、とにかく勉強をするのです。
対局のために色んなことをとにかくインプットする。
これはアーティストとまったく一緒だなぁって思うのです。
優れているアーティストほどインプットをする
ぼくはニューヨークでアートの勉強をするまでは、優れたアーティストは何もないところから次々と作品を産み出すのだと思っていました。
しかしこれは大きな勘違いだった。
優れたアーティストほど、模写したり展覧会にいったり、昔の絵を研究したり、美術史を学んだりとにかくインプットを大切にしていたんです。
ぼくがNYで出会ったトップレベルのアーティストで、美術史に精通していない人はいませんでした。
みんなそれくらい必死にインプットしていたのです。
カルアーツで史上最年少教授になったことのある先生が、
『描いて、見て、感じて、ひたすら蓄え続けて、そうして自分の中に図書館のようなものをつくるんだ』
と言っていました。
『ドローイングするときは、この図書館から色々な情報やテクニックや感情を引っ張り出してきて描いている。すらすら描いているところだけ見たら魔法みたいに感じるかもしれないけど、泥臭い努力があるからできることなんだ』
かっこいい。渋すぎる。
つまり、3月のライオンがおすすめなのである。
棋士が戦いの中で新たな戦法や形成を逆転する一手を求めて深淵へと潜っていく様が漫画の中で描写されています。
潜った先には何もないかもしれない。色々なものを犠牲にした結果、手ぶらで帰ってくるはめになるかもしれない。
それでも棋士たちは身一つでその深淵へと潜っていき、新しい扉を開け続ける。
この様は、アーティストがアートメイキングしているときの感覚に似ているような気がしてならないのです。
作品のコンセプトやアートシーンに新たに打ち出す概念を追い求めて自分の内側へ、できるだけ核心を求めて潜っていく。何か月、下手したら何年もかけて探究した結果、やっぱここには何もなかった、なんてことはザラにある。
それと凄い似てると感じて、思いがけず新しい漫画にハマってしまったという話でした。ということで、これからも3月のライオン、チェックしていこうと思います。