元会社員の俺がカルアーツで勉強してる話

この世には無作為を装った作為が蔓延している。

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デザインは作為的な行為だけど、それを無作為にできたら良いなと思っている。そんなのは人のエゴで、だからこそこの世には無作為を装った作為が蔓延しているんだということは理解している。

それでも無作為にこそ美を感じ、それを追求したいと思うのが美術家なのではないかと思うわけで。

 

 

ライフドローイングやスケッチは無作為的な行為で、その感覚のままキャラクターデザインやビジュアルデベロップメントが出来るようになりたい。日常的にクロッキーやスケッチをして常にその感覚でいられるように訓練するのが一番良いのだろうか。

どうすれば良いのか実際はよく分からない。

 

 

説明できないけどこの作品なんか良いっていう感覚は、無作為のものに触れた時に覚えるものだと思う。

 

 

絵を描くのも、文章を書くのも、それが無作為であればあるほど良い。

ヒトもそうだと思う。作為的な振る舞いより、無作為であればあるほど生生しくて清々しくて、魅力的だと思う。

 

 

でも、いくらありのままが良いとは言っても、例えば寝癖でパジャマのまま歯も磨かずに人様に会うのは避けるべきだから塩梅が難しい。パジャマのままの絵や文章で、これが自分の作品=血肉ですと人様に言えようか。

 

 

せっかく人に会うのだ、もう少し着飾ってみるか。ちょっとだけなら問題ない。そう思った瞬間にはもう作為の入り口に片足を突っ込んでいる。

 

 

気が付いたら余所行きのファッションを通り越して、自分の絵や文章がギンガムチェックのシャツにジャケットを合わせたようなイキったファッションになっていることはよくある。作為の塊だなと思う。

 

 

それくらいエッジが立っているならむしろまだマシかもしれない。人様に嫌われないようにと思うあまり、つまらないコーディネートになる作品の方が多い。それもまた無作為を装った作為なんだろうなと思う。

 

 

ちなみにギンガムチェックのシャツにジャケットっていうのはもちろん比喩で、実際にそんな格好して外を出歩くことはない。

 

 

とかわざわざ説明してるあたり、結局自分も人の目を気にしている無作為を装った作為なんだろうなと思う。知らんけど。

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